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毎年恒例の・・ [過去の出来事]
痛い奴、、

注射をうちに病院へいきました。血液検査でございます。もう、かれこれ4年くらい、やってますねー。血液をしらべると、だいたい体の調子がわかるそうです。年に2回やります。いつも同じ先生に注射をうってもらうんですけど、針をさす瞬間って痛いじゃないですか?、でも先生はすごく注射が上手なので、痛くないんですよ。だからいつも感心してしまうんですね笑、そして結果がかえってくると、まず目がいってしまうのが、中性脂肪の項目。まぁ〜いつもため息をついたり、しています。ん〜、なんとかせねば!などなど。。

注射をうちに病院へいきました。血液検査でございます。もう、かれこれ4年くらい、やってますねー。血液をしらべると、だいたい体の調子がわかるそうです。年に2回やります。いつも同じ先生に注射をうってもらうんですけど、針をさす瞬間って痛いじゃないですか?、でも先生はすごく注射が上手なので、痛くないんですよ。だからいつも感心してしまうんですね笑、そして結果がかえってくると、まず目がいってしまうのが、中性脂肪の項目。まぁ〜いつもため息をついたり、しています。ん〜、なんとかせねば!などなど。。
静かなとき。 [過去の出来事]

廃校になった母校はまだ建物が残っている。この季節は新学期で活気があふれているはずだけど、我が母校には、もう春は訪れない。静かなグラウンド、シャットダウンされたすべての窓。桜だけが健気に、息をしている。この建物もいつかは、取り壊されるのだろう。そんな想いをこめて写真を撮った。
錆びない弦 [ためになった情報]
先日、弦を買おうと楽器屋にいきました。いつもいく店だったので、店主に、おすすめの弦ありますか?って聞いたら、これを薦められました。

この弦は、エリクサーという弦です。なにが特徴かというと、錆びない弦なのです!というと嘘なので、言い方を変えると、さびにくい弦です。ぼくは、結構汗をかきやすい体質なので、手汗もすぐかくのです。だからギターの弦も錆びやすいのですよ。だからこの商品にはとても興味をしめしました。

値段は高めなのですが、とてもいい!です。感触バッチリ!ネットで調べると、忌野清志郎さんとかも愛用していたみたいです。あと布袋さん、コブクロさんなども。ん〜。

この弦は、エリクサーという弦です。なにが特徴かというと、錆びない弦なのです!というと嘘なので、言い方を変えると、さびにくい弦です。ぼくは、結構汗をかきやすい体質なので、手汗もすぐかくのです。だからギターの弦も錆びやすいのですよ。だからこの商品にはとても興味をしめしました。

値段は高めなのですが、とてもいい!です。感触バッチリ!ネットで調べると、忌野清志郎さんとかも愛用していたみたいです。あと布袋さん、コブクロさんなども。ん〜。
どんぐり舎。第48話 [東京の喫茶店]
ある春の日、どんぐり舎2年生になった僕は、おじいちゃんといつものように仕事をしている。もうこのころになると、どんぐり舎の仕事も慣れ、そして楽しくてしょうがなかった時期だったかもしれない。よく話す常連のお客さんとの会話はいつも楽しかった。僕の知らないことをたくさんユーモアたっぷりに教えてくれた。もちろんコーヒーをつくるのも楽しかった。そして新しい常連さんができ始めるのもこの時期の風物詩。春の季節は、出会いの季節でもあったのです。ぼくと同じ年くらいの大学生がたくさん、どんぐり舎に押し寄せてくるのも、みていて、とても楽しい気分にさせてくれた。また何人かの芸能人もよくきていて、それも気分を高めさせてくれた。そんな春の季節。おじいちゃんは、春の季節になると、なぜだかテンションが高く、張り切る傾向にある。それは、しばらくお休みしていた、野球中継が始まるからだと、どんぐり舎の家族の人が皆、口をそろえる。あるとき、仕事中の出来事。お客さんがこない時間があった、夕刻7時くらいのことだろうか。突然、「他の店の客の数を数えてこい」みたいなことを言われた。ぼくは、「は?」という感じで、最初意味がわからなかった。「え?なに?」と、問いただすと、「他の店の客数がきになる」という。つまり、うちの店は今暇だが、他の店はどうなのか?という心配だったのだ。は〜、そういうことか、と思い、納得したわけです。西荻窪という場所は、とても喫茶店の多い地区なのです(個人の経営する喫茶店です、このころはドトールやスターバックスといったチェーン店が西荻にはないという、珍しい所だったのです、今はありますが)。つまりライバルが多いんですね。ぼくもこのころになると、いろんな喫茶店にいくようになっていたので、西荻窪にたくさん喫茶店があることはよ〜く知っていました。そしてとても魅力的な喫茶店が多いのです。ぼくはわかりました、と言い、ぼくが知る西荻窪の他の人気のある喫茶店を見に行きました。ダンテ、それいゆ、物豆奇、赤レンガ、などを中心にみにいきました。ん〜こんなことをしたのは、後にも、先にもこの1回だけ。とにかく春のおじいちゃんは、とても張り切るから、なにを言い出すかわからないところがありましたね。その後、アコーディオン事件ってのもありました笑、この話は後ほど。(つづく)
ライカ!ライカ!らいか! [過去の出来事]





6年前くらいに、すごい写真にハマっていたときがあった。これらの写真は、そのはまっていた当時に、ぼくが撮影したものです。じゃあ〜いまは、はまっていないのか?といわれると、そうではないのですが、撮影手段が変わってしまいました。これらの写真は、白黒フィルムで撮影され、さらに、自分で現像し、そしてプリントまで、自分でやっていました。こういうことをいまは、やらなくなったという意味です。ただ、ぷらぷらと散歩をしながら、写真を撮っていましたね。猫なんかもよく撮っていました。野良猫はもちろん、よその家で飼われている猫なども。なんか野良猫を多くみかける街は、その街が平和の証って、どっかで聞いて、それで一生懸命撮ってたのかもしれない笑、まぁ〜忘れましたが。それで、当時は、こんなカメラで、写真を撮っていました。

まぁ〜なんとクラシカルで、粋なカメラで!って自分でいってますけど笑、これはライカという、ドイツ製のカメラです。まぁ〜有名ですわな。そのライカの中でも古いタイプのバルナックライカという種類です。なぜこんなガラクタみたいなカメラをわざわざ使ったかというと、まぁ〜くだらい理由みたいのが、ございまして。それは、ぼくが好きな、かの巨匠小津安二郎監督が、ライカ使いだったのです。


小津監督は、ロケハンでは、つねに、ライカを携えて、撮影をなさっていました。ですから、このようなスナップがたくさん残っています。そんな小津監督のようになりたくて・・じゃないですが、まぁ〜一度体験しとくのは大事な事だと思い、ライカで撮影、現像、プリントをしばらくやってみました。やってみた感想は、「とても難しい!!」でした。なかなか思い通りの写真が撮れないということも、学びましたし。戦前のカメラの扱い、現像の仕方、プリントのコツなど、技術的なことが、ぜんぜんぼくの能力には及びませんでした。

今は、カメラが携帯電話になってしまいましたが・・ 1930年代のカメラと、2012年の現代のカメラの競演ですよ。そう考えると、ライカってすごいな〜と思いますね。デザインがぜんぜん古びていないよ!まったく!
ちょっと関係ないけど・・・

小津安二郎と成瀬巳喜男のツーショット!天才が二人!すごい瞬間の写真です。
記憶の残像(ポラロイド編) [過去の出来事]

これは学生時代に住んでいた、風呂なしアパートin練馬区のとある風景です。このギターは一番愛用していたギターでした。たしか2年生のときに秋葉原で買いました。これ、見た目はテレキャスなんですけど、ピックアップが、テレキャスのものではなく、むしろストラトキャスターについているものと一緒なのです。ですから、でる音もむしろストラトっぽいです。

夏はくそ暑い、冬はくそ寒い、そんな季節感抜群の部屋でした。もちろんエアコンないですから!そして音楽を聞くときも大変でした。つねにヘッドフォンをして聞かなければならず。。いちど音楽をそのまま鳴らしていたら、隣人のかたが、ご立腹のままやってこられて、ひどい説教をうけてしまいました。夜中に聞いていたのではなく、昼間なのに、です。隣人のかたが夜勤をなさっていて、昼間が睡眠時間だったのです。○田さん、お元気ですか?あなたのことは忘れませんよ笑

友人にかりたポラロイドカメラで、バイト中に撮ったどんぐり舎の写真。ポラロイドとどんぐり舎の相性は抜群ですね。
記憶の残像とか。 [過去の出来事]
ちょっと昔の写真とか手紙とか整理してたら、なんかいろんな懐かしいものがでてきて、ついつい見入ってしまいました。手紙とか写真とかを捨てずに保管しとくのは、まぁ〜誰もがやることですよね。それ以外にぼくがすてられないものが、いままでいったライブのチケットですね。結構保存しとく派です。では数あるチケットの中で、あ〜いったな〜あのライブ!って具合にとても感慨深くなった2枚をここでご紹介。

これは1999年7月29日、南青山MANDALAというライブハウス(というかんじよりは、ちょっとオシャレなBARがついているライブスペースみたいな)でみた、夏木マリさんのコンサートです。

夏木マリさんといえば、「女優、夏木マリ」というイメージがありますが、いえいえ、「歌手、夏木マリ」という一面もあるのです。ぼくは大学生のときに、夏木マリさんのあるアルバムを友人から借りて、ド肝をぬかれました。とても素晴らしいアルバムだったので、ここでそのアルバムを紹介。
このアルバムは、全曲小西康陽さんによるプロデュースで、見事に夏木マリの歌手としての魅力をだしきっています、すばらしいプロデュースアルバムです。このアルバムにはいっているカウボーイという曲がとても好きで、リンクをはろうと思ったんですが、なんとyoutubeになかった!あ〜おめあての曲をyoutubeでさがして、なかったときのがっかり感といったらもう↓。なので、かわりにこの曲を。
ね?べらぼ〜にかっこいいでしょ?それで、ぼくは夏木マリさんの歌手としての魅力にとりつかれ、ライブにまでいってしまったのでした。さて、次は。

2004年 10月7日、吉祥寺スターパインズ・カフェというライブスペースでみた、高田渡のライブです。このライブは、高田氏単独のライブではなく、きたる10月15日に発売になる「高田渡トリビュート」というアルバムを記念してのたくさんのアーティスト参加によるライブでした。
たとえば、なぎら健壱さんが、「すかんぽ」という曲をうたったり、柄本明さんが「スキンシップ・ブルース」をうたったり。とても豪華なライブでした。そしてトリに高田氏がでてきて歌うというものなのです。ですが、高田氏は他のアーティストが歌っているときには、なぜかずっと客席にいて、なぜかぼくは高田氏のとなりにずっといました笑。
これが当時のリハーサル映像だそうです(左にいるのが中川イサトさんです)。高田氏はほんとに気さくで、いろんな人(おそらくは業界関係者だとおもわれ)とおはなしをなさっていました。そしてなんと、このライブがぼくにとって高田氏をみた最後のライブとなってしまいました。彼はこの6ヶ月後の4月16日に永眠されたのです。ですからこのライブは今思うと、ぼくにとってとても感慨深いのです。以上2枚のライブチケットにまつわるとりとめのないお話でした。想い出に残るライブをしてくださったアーティストにはとても感謝しています。そしてそれが知らず知らずのうちにぼくの血となり肉となっているかもしれないからです。やはりコンサートはいいなぁ。

これは1999年7月29日、南青山MANDALAというライブハウス(というかんじよりは、ちょっとオシャレなBARがついているライブスペースみたいな)でみた、夏木マリさんのコンサートです。

夏木マリさんといえば、「女優、夏木マリ」というイメージがありますが、いえいえ、「歌手、夏木マリ」という一面もあるのです。ぼくは大学生のときに、夏木マリさんのあるアルバムを友人から借りて、ド肝をぬかれました。とても素晴らしいアルバムだったので、ここでそのアルバムを紹介。
このアルバムは、全曲小西康陽さんによるプロデュースで、見事に夏木マリの歌手としての魅力をだしきっています、すばらしいプロデュースアルバムです。このアルバムにはいっているカウボーイという曲がとても好きで、リンクをはろうと思ったんですが、なんとyoutubeになかった!あ〜おめあての曲をyoutubeでさがして、なかったときのがっかり感といったらもう↓。なので、かわりにこの曲を。
ね?べらぼ〜にかっこいいでしょ?それで、ぼくは夏木マリさんの歌手としての魅力にとりつかれ、ライブにまでいってしまったのでした。さて、次は。

2004年 10月7日、吉祥寺スターパインズ・カフェというライブスペースでみた、高田渡のライブです。このライブは、高田氏単独のライブではなく、きたる10月15日に発売になる「高田渡トリビュート」というアルバムを記念してのたくさんのアーティスト参加によるライブでした。
たとえば、なぎら健壱さんが、「すかんぽ」という曲をうたったり、柄本明さんが「スキンシップ・ブルース」をうたったり。とても豪華なライブでした。そしてトリに高田氏がでてきて歌うというものなのです。ですが、高田氏は他のアーティストが歌っているときには、なぜかずっと客席にいて、なぜかぼくは高田氏のとなりにずっといました笑。
これが当時のリハーサル映像だそうです(左にいるのが中川イサトさんです)。高田氏はほんとに気さくで、いろんな人(おそらくは業界関係者だとおもわれ)とおはなしをなさっていました。そしてなんと、このライブがぼくにとって高田氏をみた最後のライブとなってしまいました。彼はこの6ヶ月後の4月16日に永眠されたのです。ですからこのライブは今思うと、ぼくにとってとても感慨深いのです。以上2枚のライブチケットにまつわるとりとめのないお話でした。想い出に残るライブをしてくださったアーティストにはとても感謝しています。そしてそれが知らず知らずのうちにぼくの血となり肉となっているかもしれないからです。やはりコンサートはいいなぁ。
冬 [過去の出来事]

冬の青空はなんかいいです。雪景色の合間にみせる太陽の光が、とてもありがたみを感じます。

雪景色をみながら食べるグラタンは、とても粋な感じがするのです。ドリアとかグラタンとか、今年の冬はよくたべてる気がする。だっておいしいですものね。
ほっとする場所とは? [ためになった情報]
息がつまるような毎日を過ごし、やっと休日になり、ほっとできる時間を獲得することができる。さぁ〜どうしましょう?家でごろごろしたりもします。自分の部屋がほっとできる、という人もいるでしょう(ぼくもそうです)。でも外をみると雨や雪が降ってなくて、太陽がさんさんと照り輝いていたりします。それがわかると、ん〜やっぱり外にでよう!となります。そしてほっとできる場所を探します。どこですか?カフェですか?図書館ですか?公園ですか?場末の映画館ですか?古本屋ですか?ぼくはどうしても人があまり集まらないor静かな場所を探してしまいます。とにかくそういった場所が僕は昔から好きだし、とにかくほっとします。最近これらの場所にあらたにほっとする場所がレパートリーに加わりました。それは・・

牛丼屋です!!ただしただの牛丼屋ではなくて、、

人がいない、ガラガラの牛丼屋。とにかく落ち着くんです。この空間が。そしていろいろ考え事もできて、とてもリフレッシュできます。ですが、ガラガラの牛丼屋に遭遇するには、ラッシュの時間帯をさけなければなりません。お昼にいくとすると、2時から3時くらいですね。最近はついついこんな場所でほっとしている事が多いです。ところで、この写真は牛丼屋の大手、松屋です。ぼくは松屋が大好きでした(今ももちろん好きですが)。ぼくが松屋をはじめて利用したのは、大学一年生のときです(ついでにいうと牛丼というものをはじめてたべたのも上京してからでした、御茶の水の吉野家が生涯初)。サークルの先輩が松屋でバイトをしていて、あるときサークルの打ち上げの飲み会があり、朝になってしまいました。それで朝飯をたべようとなり、先輩が、うちのバイトにこい、みたいな展開になり、はじめて松屋の存在をしりました、1997年のはなしです。そしてなんと先輩が相当そのバイトを仕切っているらしく、まさかの「ただ」で食べさせてもらいました。そこからぼくの松屋ライフがはじまりました。そして松屋ストーリー第2章がはじまります。時は1999年、大学3年のころです。ぼくは3年の5月に引っ越しを敢行しました。杉並区下井草→練馬区下石神井です。なぜ引っ越しをしたかといいますと、お金の問題でした。なんと仕送り額が大幅に減ってしまったのです。これはぼくはピンチと考え、すぐに引っ越しました。家賃7万→家賃3万5千のグレードダウンです。そして風呂あり→風呂なしという、まさかの貧乏学生の誕生の瞬間でした。はじめての風呂なしアパートでの生活となり、かなりスリリングな毎日となりました(隣人とのトラブルとかもあったり、あと家賃滞納という失態もなんどか笑)。とまぁ〜下石神井住民となり、いろいろ暇なときに散歩していたんです。すると、すごいものを発見してしまいました。

これです!あれ?普通の松屋じゃん?なにいってんの?
いや、これは普通の松屋じゃないのです!この写真をよ〜くみてください。なにか普通じゃないとおもいませんか?ほら、ほら、・・・・・でしょ!
これ、じつは、松屋の本社だったんです!ぼくはびっくりしました。ビル自体とても質素なんです。零細企業みたいな雰囲気で、とても全国展開している会社にはみえないのです。そして、この本社ビル内になんと松屋の実店舗があるのです!ぼくはまじでびびりました!そしておそるおそるはいってみました。そして発券機をみてみると、「は?は?なに、これ?」とぼくはさらにびっくりしてしまったのです。なんとふだんのみなれたメニュー以外に、たくさんのみたこともないメニューがあるのです!そうなんです、この店は、モニター的な役割をかねた実店舗だったんです。まだ全国展開していないメニューを実際に販売してみて、売れるかどうか?実験している店舗だったんです。だから、普段学校の近くの松屋でたべて、それからこの本社直営の松屋にいくと、あまりの違いにいつもワクワクしていました。ほんとに新メニューがぞくぞく登場して、あっというまに消えていくんです。楽しかったな〜
今、松屋の本社は武蔵野市にあって、下石神井にはないみたいです。そして会社も立派なビルになっていて、驚きました。そして当時お世話になった銭湯。ゆたか湯。お金がなくて、銭湯にいくか、それを我慢して松屋にいくか、悩んでいた学生時代が懐かしい。さようならぼくの青春。。

牛丼屋です!!ただしただの牛丼屋ではなくて、、

人がいない、ガラガラの牛丼屋。とにかく落ち着くんです。この空間が。そしていろいろ考え事もできて、とてもリフレッシュできます。ですが、ガラガラの牛丼屋に遭遇するには、ラッシュの時間帯をさけなければなりません。お昼にいくとすると、2時から3時くらいですね。最近はついついこんな場所でほっとしている事が多いです。ところで、この写真は牛丼屋の大手、松屋です。ぼくは松屋が大好きでした(今ももちろん好きですが)。ぼくが松屋をはじめて利用したのは、大学一年生のときです(ついでにいうと牛丼というものをはじめてたべたのも上京してからでした、御茶の水の吉野家が生涯初)。サークルの先輩が松屋でバイトをしていて、あるときサークルの打ち上げの飲み会があり、朝になってしまいました。それで朝飯をたべようとなり、先輩が、うちのバイトにこい、みたいな展開になり、はじめて松屋の存在をしりました、1997年のはなしです。そしてなんと先輩が相当そのバイトを仕切っているらしく、まさかの「ただ」で食べさせてもらいました。そこからぼくの松屋ライフがはじまりました。そして松屋ストーリー第2章がはじまります。時は1999年、大学3年のころです。ぼくは3年の5月に引っ越しを敢行しました。杉並区下井草→練馬区下石神井です。なぜ引っ越しをしたかといいますと、お金の問題でした。なんと仕送り額が大幅に減ってしまったのです。これはぼくはピンチと考え、すぐに引っ越しました。家賃7万→家賃3万5千のグレードダウンです。そして風呂あり→風呂なしという、まさかの貧乏学生の誕生の瞬間でした。はじめての風呂なしアパートでの生活となり、かなりスリリングな毎日となりました(隣人とのトラブルとかもあったり、あと家賃滞納という失態もなんどか笑)。とまぁ〜下石神井住民となり、いろいろ暇なときに散歩していたんです。すると、すごいものを発見してしまいました。
これです!あれ?普通の松屋じゃん?なにいってんの?
いや、これは普通の松屋じゃないのです!この写真をよ〜くみてください。なにか普通じゃないとおもいませんか?ほら、ほら、・・・・・でしょ!
これ、じつは、松屋の本社だったんです!ぼくはびっくりしました。ビル自体とても質素なんです。零細企業みたいな雰囲気で、とても全国展開している会社にはみえないのです。そして、この本社ビル内になんと松屋の実店舗があるのです!ぼくはまじでびびりました!そしておそるおそるはいってみました。そして発券機をみてみると、「は?は?なに、これ?」とぼくはさらにびっくりしてしまったのです。なんとふだんのみなれたメニュー以外に、たくさんのみたこともないメニューがあるのです!そうなんです、この店は、モニター的な役割をかねた実店舗だったんです。まだ全国展開していないメニューを実際に販売してみて、売れるかどうか?実験している店舗だったんです。だから、普段学校の近くの松屋でたべて、それからこの本社直営の松屋にいくと、あまりの違いにいつもワクワクしていました。ほんとに新メニューがぞくぞく登場して、あっというまに消えていくんです。楽しかったな〜
今、松屋の本社は武蔵野市にあって、下石神井にはないみたいです。そして会社も立派なビルになっていて、驚きました。そして当時お世話になった銭湯。ゆたか湯。お金がなくて、銭湯にいくか、それを我慢して松屋にいくか、悩んでいた学生時代が懐かしい。さようならぼくの青春。。
三船敏郎の衝撃、映画との出会い。 [過去の出来事]
どうもこんばんわ。13日の金曜日の深夜、ひっそりと更新をおこなっております。13日の金曜日といえば、ジェイソンが〜ジェイソンが〜って子供のころは友だちとふざけあっていたのを思い出します。いや、べつに不吉な日だっていってもなにもおこらないんですがね。まぁ〜英語圏などにおいて、不吉な日とされている日ではあります。もちろん迷信ですが。由来などについてはwikipediaなどをご参照のほど。。では本題にはいります。今日お話したいtopicは、ずばり、「映画との出会い」です。これはどういうことかといいますと、生まれてはじめてみた映画は?とかいうものではありません。そんなものおぼえていません笑。もっとも古い記憶では、E.T.という映画を親につれられて映画館でみたのはなんとなくおぼえてはいるんですが、それがはじめてだったのかどうかは「??」という感じです。そうではなくて、ぼくが、映画を「映画」としてみるようになった最初の映画とは?という話です。は?なにいってんの?こいつ?とおもわれるいいかたをしてしまいましたが、つまり、いままでは、映画を、「お話中心」にみていたのです。いわゆるストーリーだけをおっかていたということです。それが、「映像中心」に映画をはじめてみることができた「映画との出会い」なわけです。そう!そんな話です。そしてぼくが、映画を「映画」として最初に見ることができた作品は、こんな映画でした。

酔いどれ天使<普及版> [DVD]
ぼくが、大学4年になりたてのころ、うまれてはじめて見た黒澤明監督の作品。「酔いどれ天使」であります。もちろん主演は三船敏郎、、、ではなくほんとは志村喬(たかし)さんのような気がするのですが、つまりこの作品のタイトルになっている「酔いどれ天使」とは、志村さん演じる貧乏医者のことをさしているとおもわれるので、そうなのですが、この作品において、三船敏郎は、観る者すべてにおいて、どんでもない衝撃をあたえてしまったのです。そして我々の記憶には、この映画は三船敏郎が主演であるという、だれもそうはいっていないのに、そうであるという常識をうちたててしまったのです!そしてあらゆるポスターなどは三船の写真がつかわれるということになっているわけであります。そんな作品、酔いどれ天使。。ぼくはほんとになんとなくこの作品をレンタルビデオ屋で借りて、下宿でみたのであります。みはじめた最初は、うわ〜やっぱ古い映画だな〜、シロクロだし笑。セリフもききとりにくい笑、みたいなかんじだったんです。でもですよ、ものの3分くらいで、ある役者が画面にでてくるのです!松永というチンピラ役の三船が、志村さん演じる真田という医者のところに、鉄砲でうけた傷を治療してもらいに、やってくるのです。診察室にはいってくる三船をみたとき、、「!!!!」
なんだこれは?!!と電流がはしったのです、僕の体に!凄い!このオーラはなんなんだ?こんな役者が日本にいたのか?と、ぼくはとんでもない衝撃をうけてしまったのです。お話などまったく頭にはいっていなかったのに、画面に釘づけですよ、もう。



表情、動き、セリフのいいまわし、どれをとっても、圧倒的な存在感で、もう三船しか目にはいらなくなりました。おはなしは、あまり興味のないものだったのですが、三船の動き、表情をもっともっとみたくて、もうこの映画がおもしろくてたまらないものになりました。たとえば、ダンスホールで女と踊るシーンがあるのですが、こんな色気があるシーンをはじめてみました。

みてください、この三船の表情!色気がハンパない!そして数々のシーンででてくる煙草を吸うシーン。



どれもきまってますよね!黒澤明監督は、この作品ではじめて三船とタッグをくんだのであります。のちにたくさんの傑作をうみだすこととなる黒澤×三船の最初の作品がこの酔いどれ天使という映画であります。黒澤監督は三船に出会うまで、圧倒された俳優は一人もいなかったそうです。むしろ俳優を信じていなかった。自分の演出と、脚本でなんとか作品の質を保とうしていたわけであります。しかし、この三船敏郎にたいする黒澤の評価がすごいのです。以下、黒澤明監督著の自伝、蝦蟇(がま)の油より抜粋。
〜三船は、それまでの日本映画界では、類のない才能であった。特に、表現力のスピードは抜群であった。わかりやすく言うと、普通の俳優が表現に十フィートかかるものを、三フィートで表現した。動きの素速さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。なんでも、ずげずげずばずば表現する、そのスピード感は、従来の日本の俳優には無いものであった。しかも、驚くほど、繊細な神経と感覚をもっていた。まるで、べたぼめだが、本当なのだから仕方がない。〜
俳優をまったく信用していない人間が、こうまでして絶賛をしてしまうのだから、この三船の登場が、どれほど凄かったかは、想像にかたくない。それは監督のみならず、観客のわれわれにも、すぐに伝わるものであった。この監督の蝦蟇の油にて書かれている三船の評価で、「驚くほど、繊細な神経と感覚」というくだりがありますが、それはぼくも、この酔いどれ天使をみて、三船という俳優の表現の幅の凄さに驚いた部分のひとつでもありました。



人間が枯れてしまったときの表情とは、こんなにも美しいものなのでしょうか?ぼくはこの場面の三船の芝居をみて、いままで自分にあったあらゆる感性、価値観などが、ガラガラと音をたてて崩れていきました。以前まであった男らしく強い表情から一転して、ここまで落ちてしまう一人の人間のあらゆる運命が、こんなにも美しく表現されてしまうなんて。。ぼくはとてもショックでした。そしてこのような芝居にも感銘をうけました。背中で芝居をする、といったことをよく耳にしますが、実際にそのような芝居をみたことがなかったので、一体どのようなものなのか、わかりませんでした。しかし三船敏郎がおしえてくれました。


つまり芝居とは、その人の人生がどのようなものであったか?がそのままでてしまうものなのでしょう。人生で敗北したことのない人の背中は、さぞ輝いた背中なのでしょう。しかし、芝居において、画面に背中をむけるとは、つまり「敗北」を表現しなければいけないということなのです。敗北を人生で味あうというのは、ある意味勇気のいることです。ですからおおくのひとは、勝ちでもない、負けでもない、どちらでもない人生を選びたがるものなのです。三船の人生において「敗北」があったかどうか?ということをきくのは、愚問のような気がします。なぜならこの「背中」がすべてを語ってくれているからです。


以上が、ぼくにおける三船敏郎の衝撃にまつわるお話でした。余談ですが、かの今村昌平監督も、この作品をみて、衝撃をうけ、映画監督を志したそうです。そんなすばらしい作品には、素敵なエピソードなどは尽きないものなのです。

酔いどれ天使<普及版> [DVD]
ぼくが、大学4年になりたてのころ、うまれてはじめて見た黒澤明監督の作品。「酔いどれ天使」であります。もちろん主演は三船敏郎、、、ではなくほんとは志村喬(たかし)さんのような気がするのですが、つまりこの作品のタイトルになっている「酔いどれ天使」とは、志村さん演じる貧乏医者のことをさしているとおもわれるので、そうなのですが、この作品において、三船敏郎は、観る者すべてにおいて、どんでもない衝撃をあたえてしまったのです。そして我々の記憶には、この映画は三船敏郎が主演であるという、だれもそうはいっていないのに、そうであるという常識をうちたててしまったのです!そしてあらゆるポスターなどは三船の写真がつかわれるということになっているわけであります。そんな作品、酔いどれ天使。。ぼくはほんとになんとなくこの作品をレンタルビデオ屋で借りて、下宿でみたのであります。みはじめた最初は、うわ〜やっぱ古い映画だな〜、シロクロだし笑。セリフもききとりにくい笑、みたいなかんじだったんです。でもですよ、ものの3分くらいで、ある役者が画面にでてくるのです!松永というチンピラ役の三船が、志村さん演じる真田という医者のところに、鉄砲でうけた傷を治療してもらいに、やってくるのです。診察室にはいってくる三船をみたとき、、「!!!!」
なんだこれは?!!と電流がはしったのです、僕の体に!凄い!このオーラはなんなんだ?こんな役者が日本にいたのか?と、ぼくはとんでもない衝撃をうけてしまったのです。お話などまったく頭にはいっていなかったのに、画面に釘づけですよ、もう。



表情、動き、セリフのいいまわし、どれをとっても、圧倒的な存在感で、もう三船しか目にはいらなくなりました。おはなしは、あまり興味のないものだったのですが、三船の動き、表情をもっともっとみたくて、もうこの映画がおもしろくてたまらないものになりました。たとえば、ダンスホールで女と踊るシーンがあるのですが、こんな色気があるシーンをはじめてみました。

みてください、この三船の表情!色気がハンパない!そして数々のシーンででてくる煙草を吸うシーン。



どれもきまってますよね!黒澤明監督は、この作品ではじめて三船とタッグをくんだのであります。のちにたくさんの傑作をうみだすこととなる黒澤×三船の最初の作品がこの酔いどれ天使という映画であります。黒澤監督は三船に出会うまで、圧倒された俳優は一人もいなかったそうです。むしろ俳優を信じていなかった。自分の演出と、脚本でなんとか作品の質を保とうしていたわけであります。しかし、この三船敏郎にたいする黒澤の評価がすごいのです。以下、黒澤明監督著の自伝、蝦蟇(がま)の油より抜粋。
〜三船は、それまでの日本映画界では、類のない才能であった。特に、表現力のスピードは抜群であった。わかりやすく言うと、普通の俳優が表現に十フィートかかるものを、三フィートで表現した。動きの素速さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。なんでも、ずげずげずばずば表現する、そのスピード感は、従来の日本の俳優には無いものであった。しかも、驚くほど、繊細な神経と感覚をもっていた。まるで、べたぼめだが、本当なのだから仕方がない。〜
俳優をまったく信用していない人間が、こうまでして絶賛をしてしまうのだから、この三船の登場が、どれほど凄かったかは、想像にかたくない。それは監督のみならず、観客のわれわれにも、すぐに伝わるものであった。この監督の蝦蟇の油にて書かれている三船の評価で、「驚くほど、繊細な神経と感覚」というくだりがありますが、それはぼくも、この酔いどれ天使をみて、三船という俳優の表現の幅の凄さに驚いた部分のひとつでもありました。



人間が枯れてしまったときの表情とは、こんなにも美しいものなのでしょうか?ぼくはこの場面の三船の芝居をみて、いままで自分にあったあらゆる感性、価値観などが、ガラガラと音をたてて崩れていきました。以前まであった男らしく強い表情から一転して、ここまで落ちてしまう一人の人間のあらゆる運命が、こんなにも美しく表現されてしまうなんて。。ぼくはとてもショックでした。そしてこのような芝居にも感銘をうけました。背中で芝居をする、といったことをよく耳にしますが、実際にそのような芝居をみたことがなかったので、一体どのようなものなのか、わかりませんでした。しかし三船敏郎がおしえてくれました。


つまり芝居とは、その人の人生がどのようなものであったか?がそのままでてしまうものなのでしょう。人生で敗北したことのない人の背中は、さぞ輝いた背中なのでしょう。しかし、芝居において、画面に背中をむけるとは、つまり「敗北」を表現しなければいけないということなのです。敗北を人生で味あうというのは、ある意味勇気のいることです。ですからおおくのひとは、勝ちでもない、負けでもない、どちらでもない人生を選びたがるものなのです。三船の人生において「敗北」があったかどうか?ということをきくのは、愚問のような気がします。なぜならこの「背中」がすべてを語ってくれているからです。


以上が、ぼくにおける三船敏郎の衝撃にまつわるお話でした。余談ですが、かの今村昌平監督も、この作品をみて、衝撃をうけ、映画監督を志したそうです。そんなすばらしい作品には、素敵なエピソードなどは尽きないものなのです。
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